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日本の危機に

日本の危機に

 2011年、ようやく年末を迎えた。あの大震災後、数日後には、福島第一原発の近くや仙台市内、南三陸町に様々な物資を運んだ。
阪神大震災の時にも数日後、救援物資を運んだ経験はあったが、今回の福島については、見えない放射性物質の情報や知識に乏しく、本当にそこに行っていいのか悩みに悩んだ。
また燃料が予定通り入荷しないと言う、オイルショックも経験した。あの時の燃料や食糧、生活用品不足には人間の本能を見た気がした。
そして計画停電。電話で日常業務を成立させているのに、停電で肝心の電話が使えない。宇宙に行ったり、電気自動車が走ったり、壁掛けテレビだってある時代にこんなことが起きるなんて驚きだった。
これまで考えてもみなかったことが次々に起こり、その度に正解はわからない選択の連続だった。今になって振り返ると、その選択の結果、被災地へいろいろ物資を運び、原発も安定している状況が報道機関から発信される度に・・・
「この仕事をしていて本当に良かった」・・・と感じた。そして日本の危機に、危険を顧みず走ってくれた多くの社員を誇りに思う。

日光市にクレーンが整備できる天井の高い自動車整備工場を建設中。

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