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昭和の人間

 昭和50年代。私が子供の頃、夕方に学校から帰えると事務所の後ろにあった社員休憩所で運転手の人たちとよく将棋をやった。小学生だったが、将棋が強い人は仕事も早くて機転がきき、いわいる「仕事ができるタイプ」だと感じられた。逆に弱い人は、仕事でも強い人に仕切られる場面が多かったと思う。

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 その時代は高速道路もほとんど繋がってはいないので、どこに行くにも一般道路。当然、長距離に行くとしばらく帰ってこない。家族は辛いこともあったと思うが、やればやっただけ給料が増えて満足度は高かったと思う。トラックもその頃はエンジン、ミッション、デフ等も弱く故障もしたし、道も悪かったからタイヤもちょくちょくパンク。一流の運転手であるためには、修理の技術も必要とされた。故障したトラックがどうにか会社まで帰ってくると、その日の夜にみんなでエンジンを載せ替えて、明朝はまた走るということもあった。
 そして現在は、高性能なトラック、整備された道路、どこにいても連絡が取れる通信網。35~40年前と比較すると恐るべき進化だと思う。

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 しかしこれだけ進化したのに、拘束時間が厳しくて昔のようには走れなくなってしまった。走れないから思うように稼げない。青ナンバーの運転手に与えられた走行時間は全国一緒。連続で8時間以上か1回4時間以上で合計10時間以上の休息期間を取らなければならない。時間の制約があるのだから昔のように稼ぎを増やすのは至難の業だ。

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 私が一番言いたくない言葉が「むかしはよかった」というこれだ。どちらかというと楽観的で未来の繁栄を切り拓く前向きタイプだと思っているが、さすがに時間の制約が特に厳しい今の運輸業には頭が痛い。
 何度考えても、結局最後は「むかしはよかった」になってしまう。「打つ手は無限」と己に喝を入れてみるものの、誰が走っても運ぶ時間は一緒。お客様に改善基準の説明をするのもほとほと疲れてきた。支局の監査を受けていない会社は改善基準なんてお構いなし。このままでは真面目に取り組む会社から先に疲弊してしまう。
「むかしはよかった」昭和のあの時代がなつかしい。

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